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新しい朝が来た

♪希望の朝だ。歓びに胸を開け、青空仰げ♪

青以外の波長の色が大気中で吸収され、残った青が散乱した青だ。

青空が何故に清々しいのかは分からない。まぁ、曇天が重々しいのは雲が落ちてきそうだからかもしれない。なお、雲は落ちてこない。

朝に希望を感じるのは、その日が、まだ始まったばかりで、何かしらの可能性を感じるからかもしれない。

可能性といっても、大事件を望む人は少ないと思う。何気に安定志向の方は多い。それに、思いの外、大振れしない。

何にせよ、希望があることは良いことだ。絶望は死に至る病なのだから。

重力の井戸の底にて

おつかれさまんさたばさ

お約束の挨拶とは言え、未だに、朝一から「おつかれさまです」と言われると、違和感がある。

なかなか、そうそう、疲れるものではない。疲れてる時は、何もしなくても、あらかじめ疲れている。

「おつかれさまです」という言葉には、あまり、労いや癒しの効果はない。

などと言ってたら、ちっとも早くなくても「おはよう」と言うし、話にケリがついてなくても「さようなら」と言う。

「じゃあね」より「またね」と言いたい。

疲れるのは生きてる証拠と嘯いている。

予断を許さない状況

なんて聞くと、なにやら深刻な状況を想像するかもしれないが、ようは予想がつかない状況ということで、必ずしも悪くなるものではないとも考えられる。

熱力学第二法則というか、エントロピー増大の法則によると、まぁ、ほっておけば、無秩序に向かうとも言えるので、秩序を重んじる方には看過しがたい状況かもしれない。

言葉というのは、大概、反対の言葉も用意されていて、臨機応変とか、可及的速やかに対応とかある。

「可及的速やかに」は、つまり、A.S.A.P.="As soon as possible"であるから、私のように捻くれた者は「出来ない時は遅いよ」と言わなくても良いことを言って不評である。

にしても、普段は、「予定通り、予想通り」に物事が進むことを良しというか、当たり前と思ってる人が多いなぁ。

しかし、スポーツ中継などで、終盤、実況や解説の方が、無責任にも言うのだ「分からなくなってきました」

他力本願

普段、人慣れしてないからか、ふとした瞬間に、「何で、人間は、こんなにいるのだ?」と思ってしまうことがある。

 

こんだけ居れば、何とかなるだろう。任せた。と思う。

 

かすかに、こんな私で、お役に立つのでしたら…と低姿勢風な横柄な態度に出る。

 

多分、みんなが居れば、大丈夫だよ。

 

かと言って、いそいそと、この世を去る予定はなく。何となく、さほど長生きは出来ないんだろうな。と思いつつ、居所を探している。

納得

常々、私は、「自分の納得を大事にしている」

何だか分からなくても、「何だか分からないな」と納得出来れば良いのである。

無条件に「そういうもんだよ」「仕方がないよ」と言われると、しばしば、アレルギー的な反応を示す。

まぁ、散々、一人相撲して、「やれやれ、まったく、しょうがないなぁ」で落ち着くこともある。

諦めることは、明らめることだと聞いたことがある。

諦めの早い人は、私より人生経験が豊富なのだろうか?

誰か私に納得がいくように説明してくれ。

外れ値

外れ値(はずれち、英:outlier )は、統計において他の値から大きく外れた値である。 測定ミス・記録ミス等に起因する異常値とは概念的には異なるが、実用上は区別できないこともある。

この時の「外れ」は、くじの当たり外れとは違う。大多数が元の母集団に属しているのに対し、統計的に有意に、高い確率で、その集団には属さないと認められる値。とでもいうのか。

その値が集団から外れていることを、統計的に論理的に言うためには、残りが集団に属するのが前提になる。

統計的に有意な差を論じるには、ある程度の標本数の多さが必要である。

なので、昨日の私の報告には、何ら統計的な根拠はない。

集めた結果を恣意的に解釈をするのは、統計ではなく、マッサージというらしい。

日本語で「結果を揉む」と言うと、論理的な集合的議論な時もあるし、恣意的操作であることもある。

人がやることは、結果の解釈だけでなく、方法さえ無意識的・意識的に恣意的になることがある。

思いが行動に漏れる。語るに落ちる。

真実などない。確からしいことは、多分、多くの人が、かなりの確率で共有する幸せな誤解なのではないか。

 

寝入るために

朝、起きてから書くエントリーだろか?
と思ったりするのだけど。

私は睡眠障害を患わっている。
入眠のために睡眠導入剤も利用している。今、飲んでるのは、マイスリーサイレースジアゼパム
薬を飲んでもなかなか眠気はこない。

眠れないでいると、余計なことを考えてしまったり、時計の秒針のチクタク音や、自分の心臓の鼓動が気になって眠れなくなる。

目蓋を閉じて横になっただけでも心身を休められると聴いたが、眠れないで目を閉じて横になっているのは悶々としてしまう。

目蓋は薄い明かりが透けてしまうので、私は部屋の灯りを全て消してから寝るようにしている。しかし都会は夜も明るいので、夜目が利くようになると、窓から漏れ入る外の灯りが明るい。暗順応というやつか。

アイマスクなど利用したり、手で更に目を覆っても、脳の反応なのか、光や火花が視野に現れたりする。

と色々、気にしてても、時間は掛かるが寝付いてしまう。が3時間ほどしたら眠気はあるのに目があいてしまうのだ。

そして、目下、一番効果があるかな?と思っていることは、自分の呼吸に集中することである。

余計な考えを遮るのなら瞑想ではないが、マントラ的なものを頭の中で唱えることである。

瞑想や座禅や内観も取り入れてみるか?なかなか、数分間でも、いざやるとすると、じっと出来ないんだよね。

さてさて