眠る瞬間なんて、意識があるわけがない。その瞬間を覚えているわけがない。
そんな私が、今はうまく眠れなくて困っている。薬を飲んでるが、相変わらず眠る瞬間は分からない。
5歳の頃、一人で風呂に入っていて、「あぁ、ぼくが居なくなっても、世界は続くのだろうな」と気が遠くなった気がした覚えがある。
「私が死んでも替わりがいるもの」
一応、40代も半ばの私が思う、私のようなものの替わりくらいいないと社会や会社は回らない。
現に、私は今、仕事に出れてない、ボランティアもデモもしていない。それでも地球は回っている。私はいなくてもこの世は回る。
最近、子供連れの人をよく見かける気がする。私が居なくても人類は続く。
何処かの校長が子供は二人以上産めとか、そうでなければ、寄付しろとか言ったとか。
なら子供は居ないが、お金なら使った。ならその校長の論でも私は許されるのではないか?
個人と家族と人類は違う。
人類の未来は誰かに任せた。
私の個人と家族に関しては、これは選びようがない。
以前、利己的遺伝子の論が流行ったころに、私のDNAは残る気がないのだろうと思っていた。
たぶん、何とかなる。
たぶん、どうにかなるのだ。
愛って画数が多くて難しいですな。