余生、或いは隠遁

この週末、思い立って、古雑誌を纏めたりしたものだから、全身が筋肉痛な感じです。お陰様で、部屋の獣道の道幅が倍くらいになりました。終わってはいません

私はこれまで、何度か死にかかったことがあります。

ま、人が生きていることは常に死にかかってるのだと言えばそれまでですが。

一番旧い記憶は、母と銭湯に行って、女湯で溺れかけたことです。

一番最近は酒を飲みすぎて急性膵炎で入院した時でしょうか?肝臓は痛くないですが、膵臓はすごく痛いです。酒飲みの方は気をつけて。

私が生まれてすぐの3才くらいの時、つまり1973年にオイルショックというのがあって、あと25年もしたら石油が枯渇するとか、他いろんな説で1999年だか2000年だかで世界は終わるとか言ってましたから、自分の人生は30歳くらいまでだな。と思っておりましたら、

先日、46歳の誕生日を迎えてしまいました。平成の世も28年。

1995年の阪神の震災の折、初めの揺れで飛び起きたのですが、あとで明るくなってみると、寝ていた枕のところに、上の棚が降ってきてました。死に損なったようです。

身体が丈夫なのか、悪運が強いのか、なかなか死にません。というブログを書いた翌朝に冷たくなってるかもしれませんな。

仕事は好きですが、昔のように、体力というか馬力というか、気力というか根性なのかのようなものでは、どうにもならなくなってきた気がします。て、病欠でもう3ヶ月ほど出勤してませんが。

昔の偉い哲学者の方が「仕事」の最大の効能は、お金を稼ぐことよりも、自己実現よりも、暇つぶしになることなのだそうです。

そろそろ仕事以外の仕事的なもので、余生を使いたい気もします。

て、本業に取り敢えず復帰しないと、暇と生活苦で頭が余計に変になるかもしれません。馬鹿は休み休みにしなさいと。