生産性向上について考える


最近、「生産性向上」という単語がよく使われます。言葉からすると、何かの効率だと思われます。効率なので何かを何かで割ったはずで、何打数何安打な打率みたいのとか、単位時間あたりの生産高とか、コストパフォーマンスとか、売り上げに対する利益率とかとか…
「効率重視」という人は、大概、打率とか時間あたり生産高を言っているようです。
同じ時間かけて、質の高いものを作ることは、あまり問われてない気がします。「品質向上」といっても大概は大量生産の際の不良率を下げる話が多い気がします。
取り敢えず、私は8時間定時勤務の月給制の人です。単純に生産性向上をしても、早く帰れるわけでも、給料が上がるわけでもないので、8時間の基本は待機任務として、「いざ!」って時に良いパフォーマンスを出せれば良いな程度に最近思います。

褒められたと名誉だったり、自己満足をやり甲斐にはできません。

そういう瞬間が何度でもあれば、打席数も増えるので打率が悪くてもヒットが増えるのではないかと思うのです。とすると、失敗のコストを安くするのも大事ですね。ま、早めに失敗するのが吉。もしくは、失敗と言わず「うまく行かないということが分かった。成果があった」と言い張るか。そか、試行錯誤という単語が、そもそも自虐的なんだな。「試す」とか「誤る」とか。

なんで、みんな、そんなに、成功を求め、失敗を恐れるのか。成功を目指すのはよいけど、結果はやった後に、自ずとついてくるものでしょ。