ただ闇雲に「~する恐れがある」という人たちを、勇気以外の方法で安心させることはできないか?

ただ闇雲に「~する恐れがある」という人たちを、勇気以外の方法で安心させることはできないか?

恐れを克服するのに勇気以外の方法があるだろうか?いや恐れを克服する心意気のことを勇気というのではないか?

恐怖の源泉となっている対象から逃げることなく立ち向かう。かっこいいかもしれないが、それをして達成できるのは、ごく一握りの勇者のみであって、その他大勢にとっては無謀な自殺行為であろう。

逃げるという手もある。追ってくるかもしれない。また出会うかもしれない。その恐怖の向こうにしか求めるものはないかもしれない。場合によっては、そのものを求めないという決断だってあるだろう。

そんな切羽詰まったものでもなく、実は、それは恐れるに足らぬものかもしれない。案外、見掛け倒しとか。実は弱いとか。案ずるより産むが易しとか。実は弱点があるとか。

それはさておき、ここで考えている事象は、そんな命懸けな事態ではない。しかし、見ようによっては、刻一刻、命を刻んで生きているのだから、無視してよいような話でもないやも知れぬ。

それに、ここで問題なのは、私自身が恐れと対決しているのではない。なんだかやたらと「~する恐れがある」と言って打合せを終息に向かわせないどころか、後退させかねない人々を退ける方法を私は知りたいのである。