幼い時の一番旧い記憶

 

作家の三島由紀夫さんは、自伝的な小説の中で、産湯の盥の縁の記憶があるとか書いてた気がするが…

 

自分として憶えていると思っているのは4歳の誕生日の時である、父の軽トラに乗せられ、駅前のケーキ屋さんに誕生日ケーキを買ってもらいにいったのだ。「うちはお金ないから生クリームじゃなくてバタークリームのやつな」と言われたと記憶している。ただ、そのケーキ屋が不二家だったかコトブキだったか、つぼやモンテローザだったかは、よく覚えていない。小さい町だが、駅前に洋菓子屋さんが並んでいたのである。

 

3歳の時だったか、隣の家の年上のにいちゃんと、その家の買い置きの袋麺の入っている段ボール箱の中で二人して暴れて踏みつぶして粉々にしたような記憶もある。ふだん、よその人に対しては怖い人だった隣の家のおじさんが「よくやったなぁ」と褒めてくれたらしい。かわいがられていたようだ。

 

その向かいの大きなドブに落ちて、泥に沈みそうになってたのを近所総出で助けてもらったというのは聞いたが、自分には記憶はない。

父の配達ルートを三輪車で走り、川向こうの隣町で得意先のおばちゃんに発見されて連れ戻されたというのも聞いたが、よく覚えていない。

 

今でも、幼少の男の子は、仮面ライダーやらウルトラマンの変身セットを買い与えられるのだろうが、当時の私はライダーでなく「超人バロム1」のベルトで遊んだ記憶がある。本放送は1972年だそうだから、私は、まだ三歳になってないはずだが、当時、ひたすら再放送されてた記憶があるので、もう少しあとかもしれない。仮面ライダーのベルトを入手したのはXライダーのやつだ1974年の放送だから4歳だ。

 

ウルトラマンの記憶は…んん、『帰ってきたウルトラマン』辺りがリアルタイムかなぁ。でもそれほど覚えていない。何度もの再放送を見ている『セブン』の方がよく覚ええている。

 

スーパー戦隊のはしりの『秘密戦隊ゴレンジャー』もよく見てた気がする。キレンジャーがカレーを食べ過ぎるので、私は子供心にカレーをたくさん食べる気にならなかった。

 

保育園児の頃、隣の町までアレルギーの減感作療法の注射を受けるために、途中で親に迎えに来てもらっていた。受けてた治療の対象はホコリ・タタミ・ブタクサであった。当時はまだスギ花粉は問題視されていなかった気がする。その頃、私は、お昼寝タイムボイコットのためにジャングルジムから降りなかったような記憶があるが、どうもそれは弟の行動だったような気もする。