20150331あれやこれや

いわゆる年度末なんだけど、火曜日という、麻雀だと西家から始まるような違和感。

今月というか、ここ二週間くらいで、ようやくメンタルもフィジカルも復調しつつある私です。

「立ち止まって考える」のと「歩きながら考える」のと、何方が発想に繋がるか?などと考える哲学の道ならぬ徒歩通勤路。

あと少しで四十も半ば。平均余命やら健康余命だか統計的な数値に頼らなくても人生半ばを過ぎたか…何かの習慣や医学の進歩で百歳まで生きられるなら、まだ青二才の小僧。

「詳細は添付ファイル参照」と抄録が本文にあればまだしも、「議事録送付」とだけだと開く気もしないし、何ページもあるバワポや、一画面に収まらない巨大エクセルだと読む気も失せる。

ふと、不調はメンタルが主だが、自律神経や血行不良の線から、栄養学やハンドセラピーを素人勉強しようと思い始めたり。

理想というかビジョンは必要だし、目標は達成を目指すものなのかもしらんが、落とし所というか、現実的な解(仮)で、既に周りと自分の価値観に齟齬。

人生の3分の1が睡眠で、3分の1が職場で、残りの細切れを使うか、マルチタスクしないと命が幾つあっても足りない。

時間が過ぎるのを「長く感じる時」と「短く感じる時」の双方のメリットとデメリットは?

"chance"と"risk"は機会が均等。価値観が反転すれば、成果も反転する。

三色や四色のボールペンのリフィルを買う人は何%ぐらいだろう?大概、本体丸ごと買い替えじゃないか?なら三本差し、四本差しの方が良い?そこも、正解は個々人によると思う。

「骨は拾ってやるから頑張れ」と言うのは「逝ってらっしゃい」だよな。

9億9千万円分の宝クジを買って10億当たっても嬉しくは無いだろな。全部スカな確率もなかなか無いと思うけど。一等が当たる確率は、乗った飛行機が墜落する確率より低いとか…最近、よく飛行機が堕ちてる気がする。

ま、それも気にしてるものは気になるというカクテルパーティ効果とかカラーバス効果とかの類か。

王様や大将よりは、道化か愚者か狂言廻しな役がいいなぁ…と、ようやく最近、改めて思う。

そろそろ、今日の私には死んで貰おう。明日の私があることを、神でも仏でもなく、何かに祈りつつ。