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おいらは、遊び人の金の字でぃ。桜吹雪のタトゥーも権力もないけど

最近、頭の中のこんがらがってた糸が解けてはいないけど、糸口が見えてる気がする私です。

何だか、この三年くらいのモヤモヤ感が、リバースも下痢もせずに、腑に落ちた感じです。

途中で休職していたプロジェクトが、私がいない間に、担当者は入れ替わり断ち変わり、復職して、残った人たちが打ち上げた!取り敢えず…消化不良だったものが美味しく?なった感じです。

社内のプロセスやシステムも替わり…でも、相変わらず思う「システムの仕様制限に、人間が合わせるのは、本末転倒だ!」という筋は変わらないのですが、三年前は内なる炎メラメラだったのが、今は「相も変わらず、何をやってんだか(苦笑)」な感じです。

コンタクトレンズもやめて、眼鏡もかけず、老眼というより加齢した近眼なので、「近目の仕事に適応した老人力がついたのだ。な訳です。

老人力」というのは、私淑する故・赤瀬川原平さん(前衛芸術家・作家・路上観察学会)が、随分前に流行らせた言葉です。

喩えば、運動会の徒競走で一位になる速さでも、危険に一番最初に飛び込むので、最下位の方が安全というのを「老人力がついたなぁ」みたいな。

昨日一昨日に満開が、今日の春の嵐で桜吹雪になってしまうか…みんな、写真を撮ってるけれど(私も撮ったけど)、「あんたが(私が)死んでも、来年も桜は咲くから大丈夫」みたいな。

「たとえ、明日、世界が滅ぶとしても、私はリンゴの種を蒔く」というような言葉がありますが、私は「私が蒔いた種が芽を吹くことも、葉を付けることも、花も咲くことも、実を結ぶことがなくても、大丈夫。」と、五才の時に風呂に一人で入って、「あぁ…ぼくが居なくても、世界は続くのだなぁ」という果てしない残念感が、残念ながら続くのだな…な、ようやく四半世紀生きることになるらしい不惑を5年も過ぎた私です。