モノのために家賃を支払うな

掲題のようなタイトルの書籍があった気がしますが、あいにく、手元にありません。

私は収集癖的なところがあり、それに、作品には対価を支払うべきだというこだわりがあり、レンタルで済まさずに買ってしまうことがほとんどです。

すると、モノが溢れる溢れる。

座って半畳、寝て一畳なんて言葉もありますし、風呂とトイレで2畳くらいとすると、ミニマム4.5畳でも良さげですが、そんな物件はありません。カプセルホテルかシェアハウスか?

仕事に行けてないついでに、地味に部屋の片付けをしてますが、地味過ぎて終わりが見えません。

最近、今更になって、旧い雑誌は捨てても良かろうと思うようになったのですが…

一時期はトランクルームなんか利用してました。但し、頻繁に出し入れする人、自分の家賃そのものが安い人にしか、私はオススメしません。

私はコレクションというかデッドストック?のために、家賃混み13万払ってたことになります。

もう解約しましたが、適切な利用をする方にならキュラーズがオススメです。

要るもの、要らないもの、単なるゴミと地味な局地戦を体調と相談しながらやってる私です。

少なくとも、余程資料性や、思い入れがあるもの以外は雑誌は処分してしまいたいですね。

片付けは苦手

桜は満開ですが、少し肌寒かった今日です。花冷えというやつでしょうか。

ふと、引っ越そうか?と漠然と思い、人相手の会話のリハビリもかねて、不動産屋へ

何せ、収集癖のあるというか捨てられない私。部屋全体がウォークインクローゼット…いや、歩く道は獣道。とてもルンバのようなお掃除ロボは走れません。

なので、引っ越せば、そのついでにものも捨てられるかもという短絡思考。

しかし、普通の片付けでもそうですが、とくに、本やDVDの類いは発掘すると見始めて片付けが滞るわけです。

なお、私の本棚には片付けや料理の本はたくさんありますが、炊事と掃除は大の苦手です。

誰か教えてくれ!てか実践しろ!
一人住まいだし、ペットもいないから、散らかってても平気になってしまってるのかな。

いっそ片付け業者導入か?とも思いましたが、何か、何もかも捨てられそうな気がして躊躇。

エントロピー増大の法則な私です。

取り敢えず、読み返す訳がない雑誌や衣服を地味に断捨離しますか。

私みたいな性格な人用の片付けサービスあるいは手法って世にあるのかな。

4月の馬鹿

気がつけば4月、大寒どころか温かい日も多く、外は桜が満開です。

先日久しぶりに、私が「逆に言うと星人」と命名している種の人と会話する機会があった。

私のコミュニケーション能力に難があるのかもしらんが、向こうの提案に「んん、何かちょっと違うんだよね」と難色を示すと

「逆に言うと、どのようなものがよろしいですか?」と来るのである。

一応、初めにこちらの要件は伝えたはずなのに、足らなかったにしても「逆に」の意味が不明なのだ。

もしも、再度伝えたとしても、まず満額回答が出ることはなく。

「ご希望に一番近いのはこれかと」

「100%ご満足いただけるものはなかなかないですよ」

のようなことを言う。

それは誘導ではないのか?

そう、私は「妥協」とか「落とし所」と言う単語も嫌いなのだ。結果が同じだとしても、そこに「納得性」が欲しいのだ。

はなから「しょうがない」なら「どうだっていい」のと同じじゃないのか?

そんな私はしばしば「我儘」「頑固」「変なプライドが高い」と言われる。自覚症状はあまりない。

最中…いや、喪中

金曜日に電話したら、父は、どうやら、喪中ハガキの表書きの差出人をどうしようか、困ってるらしかった。
去年までは、母と連名にしていたからだ。母は今年の春に亡くなった。
年賀状は、別に元旦につけるためと年内に出したりしない父なので、私が帰省したら、やることの一つは、年賀状の表書きの印刷だった。
喪中ハガキは、年内に出さなきゃみたいなものがあるのかもしれない。そこのところは、私は世間の常識と齟齬がある。父とも齟齬がある。
暗に、喪中ハガキの印刷のために帰省できないか?という要望なのか?
喪に服するのは、個人的なことだし、そのために、出す喪中ハガキというものに違和感を感じる。私は非常識なのか?
故人を悼みつつ、新年を祝いつつはダメなのか?
まだ、今年は一ヶ月以上ある。
あんまり、自信はないが、かなりの確率で私も2016年の元旦を迎えられるだろう。
それより、高い?確率で、2015年11月23日は迎えられるだろう。
今日の午後を、どう過ごそうか?の前に、まだ、正午まで2時間ある。

May the force be with you

私には何か特殊な能力はない。敢えてならば、私である、というくらいか。

私の膵臓には、大きなもので10mmの膵石があるらしい。痛みは無い。若い頃、何度も急性膵炎を繰り返したツケであろう。ポンコツ過ぎて痛みの出ない非代償期になったのだろう。

ふつうの何倍も膵臓癌になるリスクが高いらしい。検査をマメに受けて癌です。と言われたものか、検査をサボって痛みと共にあの世に行こうか考え中である。

言っても、まだ中年である。いざ罹れば、案外、早いかもしれない。私が調子悪いなぁとウダウダしてるうちに亡くなった人を何人か知っている。

カウンセラーにいずれ死ぬんだから、60歳になったら酒を再開するつもりで、もうしばらく生きてみてはどうか?と提案をされたことがある。

ま、何か、重い病が確定したら、自主退職しようか?父や弟に何かあったら辞めるか。完全に戦力外になったら辞めるか。

微力ながら戦力になると思ってもらえているのであろうな。と、もうしばらくいることにしている。

未来は分からないから不安なのではなくて、分からないから面白いんだと思う。

でも、あと10年、心身が持つか?正直、自信は無い。持ったとして、何をするのか?

取り敢えず、ノープランでプライスレス。

アブラゼミの遺体を見かけなくなって

今朝、大きな地震があったらしい。
まったく気付かなかった。
眠りに落ちるのが遅かったので、魂が死んでいた。
実家で被災した阪神の震災とか、職場のあるビルの15階で遭遇した東日本の震災の記憶はあるがPTSD的なことはないってことだろうか?
私は初夏の大雨の後の晴れ間に、舗装道路で干からびているミミズや、晩夏に、あちらこちらで転がっているアブラゼミの遺体をみると、世界が終わった感を少し感じてしまう。
世界が終わるのは、止むを得ない。
私も終わりも止むを得ないが、どうしまったものか?どうもしようもない。取り敢えず、緊々には終わらないと思うので、どうしたものか?と思いつつ…
今日は、久々に暑い晴れ間というのに、洗濯乾燥機を起動した。
何故に、ぼくは、洗濯物を干すのも片付けるのも苦手なのだろう?

部屋の整理の前に

部屋の掃除だろう…

眠れないのは、運動不足もあるのでは?とも言われてるし…

家事はそれなりに運動量になるとも聞くし…

眠れないからと飲んでる薬のせいかγ-GTPが700くらいになってるし…一応、超音波検査では肝炎はないみたいだけど膵石はあるし…

週末はクリニック行くか…天気が良ければ小一時間歩いて…歩けるほどの元気があるなら、なんで、お医者さんに掛かってるのか不明だけど…