ポケットチェンジ(外貨コイン交換)を利用してみた

海外旅行から帰ってきて、外国の紙幣が余ってしまって困ったことはないだろうか?
まとまった紙幣なら普通に外貨両替を取り扱ってる銀行に行けば良いし、少量でも買い取りに応じてくれる金券ショップはある。ドン・キホーテのように、外貨で支払い出来るお店もある(ふつうのレジじゃなくて、専用サービスカウンターでお支払い)。
問題はコインである。再々、海外に行く用事のある人なら、また使う機会もあるかもしれないが、少なくとも私はない。というわけで、手元の小銭入れに少し残って何年も経つ。
最近、ポケットチェンジというサービスを知った、自動販売機みたいな端末で外貨コインを電子マネーに交換出来るのである。
サービス開始したというニュースは随分前に見た気がするが、国際空港の到着ロビー付近にしか端末がない様子なので、しばらく気にかけてなかったのだが、どうやらDICE川崎に設置されてるらしいということで、小銭入れを掴んで行ってみた。
DICE川崎は京急川崎駅の隣の商業施設である。7,9階に私のホームグランド映画館であるTOHOシネマズ川崎がある(なお自宅に最寄りなのは109シネマズ二子玉川)そこの1階のTSUTAYAの前に、その緑色の端末があった。
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今までも前を通ってるのだが、デジカメプリントかなんかだと思っていた。
使い方や交換対象となる外貨や電子マネーについては、ポケットチェンジのサイトを参照いただきたい。

すぐ使うならWAON、ネット通販に回すならamazonギフト券が良かろう。私は今回はamazonにした。
画面の指示に従い交換先のサービスを選択し、コインを投入する。そして電子マネーの人はチャージする要領でカードやスマホをかざす。或いは交換サイトの表示されたレシートが出てくる。身分証明書のようなものは一切必要ない。
今回の私は3.35USドルを投入して311円だったから、1ドル=92.8円くらいか?現在の世間のレートは1ドル=109円くらいなので、15%くらい手数料?として取られてることになるが、使えないコインを死蔵するよりは良いのではなかろうか?

ヤバすぎる話

朝会の小噺にあった「○○すぎる」話

 

そもそも、美人というのは、おそらく、元々、 ある基準を超えているはずで…

 

CGで大勢の顔を合成した平均顔は、 誰が見ても美人に見えるという研究もあるのですが、 それは整った顔というやつで…

 

なら、タレントやモデルとして活躍している女性なら、「 うつくしすぎる」のは当たり前な訳です。

 

「うつくしすぎる議員」「うつくしすぎるスポーツ選手」「 うつくしすぎる運転手」の類いは、

「うつくしさ」と「職業」は関係ない!と、 やや過激系のリベラリストフェミニストの怒りを買います。

 

私としては、「すぎる」のは、「偏差値が大きい」「 基準外である」と、ほぼ同意なので

もしもうつくしさを、 ドラゴンボールスカウターみたいなもので数値化出来るのであれ ば、

平均値に対して偏差が+3σを超えた場合、確率的に0.15%な ので666人に一人程度になります。

なので、千人以上のオーディションを勝ち抜く人は、基本的に「 すぎて」ます。

 

中国の警察が顔認証を使って、 5万人の群衆の中から一人の犯人を特定したなんて記事もありまし たね。

 

https://www.gizmodo.jp/2018/04/face-recognition- identified-suspect-out-of- crowd-of-50000.html

 

あれは、係数ではなくて、 予め持っているデータベースと照合する顔認証なのですが、

もしも、犯罪係数なるものを見られるであれば、アニメの『PSY CHO-PASS サイコパス』みたく未遂のまま容疑者?を捕まえられるのかしら? 冤罪が心配。

「犯罪係数オーバー100 執行モード ノンリーサルパラライザー 慎重に照準を定め 対象を制圧して下さい」

 

偏差という概念をもってくると、「ふつうすぎる」という表現は、 なかなか奇妙だなと、私は思います。

先に紹介したCG研究に従えば「ふつうすぎる」顔こそ「 うつくしすぎる」ことになります。

 

「千年に一人の美少女」の類いも胸やけ気味ですが、 冷静に確率論だと思えば、

6回に1度の確率の1の目が連続で出たようなものなので、 驚くに値しません。一回1の目が出ても、 次に1の目が出る確率は6分の1なので、 千年に一度の美少女が毎年出たところで豊作豊作。 千年は言い過ぎだけど…

 

グルメ番組や記事、漫画などで「うますぎる」 という表現が出てきます

「ふつうにうまい」というのは、なんなのだ?「お店の味」 なのか「腕によりをかけた家庭の味」なのか…

「うますぎる」よりは「ふつうにうまい」は下な気がする。

 

かなり普及してしまっている「やばい」については、 初めて聞いたのは20年以上前な気がします。出始めは「 やばいほどうまい」とか「やばうま」だったのが、単体で「 うまい」の意も持つようになってしまったような…

 

この料理ヤバすぎて無限に食べられる!

???

 

広辞苑」1万語追加 10年ぶり改訂来年1月発売

https://www.gizmodo.jp/2018/ 04/face-recognition- identified-suspect-out-of- crowd-of-50000.html

 

最新版の広辞苑では「やばい」の語義として

 

のめり込みそうである。「この曲はくせになって-・い」

 

が改訂版で盛り込まれています。

 

そのうち「すぎる」 の用法も人口に膾炙すると正式になってしまうかもですね
 
 

メールの整理について

私はメールの仕分けをしない。フォルダーも、 今日出社した後に届いたものはInbox。昨日より前のメールは Past、資料として取っておくものはDocumentのフォル ダーに入れている。そこに入らないものは、 せっせとゴミ箱行きにして、退勤時にゴミ箱の中を空にする。 自分に関係あるメールは仕分けしてフォルダーに入れるのでなく、 ラベルを付けていく。

野口悠紀雄さんの『「超」整理法』の中で、「 分類のコウモリ問題」というのが紹介されていた。 分類仕分けを始めると、どちらに入れたものか?とか、 どちらにも関係あるのだけどなぁ。なんてことが出てくる。 ラベリングしていれば、Pastのフォルダーの中に必ずあるし、 電子メールなのだから仕分けしなくても、容易に検索できるし、 関連メールのスレッドを出すこともできる。「 ポケット一つの原則」これも『「超」整理法』 から拝借した概念である。

あと、古いメールは気づいた時にどんどん捨てる。 後生大事にストックしたところで、 ほとんどの情報はワンタイムの必要しかない。 資料になりそうなものはPastからDocumentに移す。 なので、捨てる時には「これ必要かなぁ」と分別する必要がない。 単純に古いから捨てる。それだけである。

先ほど、退勤時にゴミ箱を空にすると書いたが、もう一つ、 退勤時に空にするフォルダーがあるInboxである。いわゆるI nbox zeroである。インボックスゼロを勧める記事の中には、 アクションアイテムとして挙がっているものを全部済ませて達成感 を軽く感じるのが良い効果という説明が書かれているが、 なにも頑張って全部仕上げるぞ! な感じじゃなくて順当に進めば終わる分だけを今日のアクションリ ストに載せればよいのだ。 別に目の前にニンジンをぶら下げられたお馬さんみたいな頑張り方 しなくても良い。むしろ、やることを明確にして、 わき目も振らずに、馬車馬のように、 と言っても無理な全速力でなく、集中して取り組めれば良いのだ。

おっと、ここではアクションアイテムリストでなくて、 メールのフォルダーの話なので、ある意味、 今日の勤務が終わりました。という時点で、必要なメールはPas tのフォルダーに移動して帰ればよいのだ。 この作業を退勤時にするのは、もう一つ理由がある。 私の職場のメールサーバーは、 個人に割り当てられている容量があまり大きくない。だから、 私が退勤して翌朝出勤するまでの間に、 やたらと手の込んだパワポとか、 無闇に解像度が高い写真を張り付けられたエクセルとかが添付され て、どしどし送り付けられたら翌朝出勤したら「 メールボックスがいっぱいです」 というエラーを最後にその後のメールが受信出来なくなってしまう ことが、たまにあるからである。

サーバーの容量に限りがあるとはいえ、 自分の記憶はしばしば当てにならないし、 物理的なキャビネットにも限りがある。 それに不必要なメールまで保存していては、 自分のフォルダーの情報のS/N比に悪化を招く。

確かに、極々たまに、過去のメールを参照したい時もあるが、 基本的に必要なものは捨てずにDocumentフォルダーに残し ているし、そこになくても、関係者の中にはコレクターなのか? というくらい何年も前のメールまで自分のPCのHDDにバックア ップして取ってある人がいるものだから、その人に頼る。 外部記憶である。 リスクヘッジのために分散管理しているといえば聞こえが良いだろ うか?
 
 

ただ闇雲に「~する恐れがある」という人たちを、勇気以外の方法で安心させることはできないか?

ただ闇雲に「~する恐れがある」という人たちを、勇気以外の方法で安心させることはできないか?

恐れを克服するのに勇気以外の方法があるだろうか?いや恐れを克服する心意気のことを勇気というのではないか?

恐怖の源泉となっている対象から逃げることなく立ち向かう。かっこいいかもしれないが、それをして達成できるのは、ごく一握りの勇者のみであって、その他大勢にとっては無謀な自殺行為であろう。

逃げるという手もある。追ってくるかもしれない。また出会うかもしれない。その恐怖の向こうにしか求めるものはないかもしれない。場合によっては、そのものを求めないという決断だってあるだろう。

そんな切羽詰まったものでもなく、実は、それは恐れるに足らぬものかもしれない。案外、見掛け倒しとか。実は弱いとか。案ずるより産むが易しとか。実は弱点があるとか。

それはさておき、ここで考えている事象は、そんな命懸けな事態ではない。しかし、見ようによっては、刻一刻、命を刻んで生きているのだから、無視してよいような話でもないやも知れぬ。

それに、ここで問題なのは、私自身が恐れと対決しているのではない。なんだかやたらと「~する恐れがある」と言って打合せを終息に向かわせないどころか、後退させかねない人々を退ける方法を私は知りたいのである。

ルーチン化について考える

私がルーチンワークが苦手なのは

・ルーチン(定型)化されていないのか

・習慣化してないからか

であろう。

 午後の仕事をルーチン化したら、生産性が高まった

 

  • 立ち上がって体を動かす
  • 簡単なタスクに取り組む
  • 大きなプロジェクトに5分間だけ取り組む
  • 「小さな恋人」を撲滅する
  • 翌日の計画を立てる

そうか、ルーチン化できているわけでもないのに、 未来の予定の手順を決めて出来たふりになるのがいかんのだな。

せいぜい、他人と(或いは自分との) アポイントのあるスケジュール

個別のタスクリスト。携わっているプロジェクト

程度のメモで良さそうだ。

 

ルーチンと段取りは違うのか? 段取りというとプロトコルとかプロシージャなイメージだな

 

 

  1. 一食一食を丁寧に食べる
  2. 「一人で何かする」を習慣にする
  3. 他人の期待ではなく、「自分の期待」に応える
  4. 「最後にプラスの言葉を使う」を習慣化する
  5. 「~でもいいじゃないか」を思考のルーティンにする
  6. 同じ習慣は、同じ結果を生む

ルーティン化する5つの理由 

  1. 繰り返すことで新たな発見をするため
  2. 不可能なことを可能にするため
  3. 現在の状況を維持するため
  4. ルーティン作業自体の効率化のため
  5. 仕組みとして欠かせないため

 

 

  1. 「時間が足りない」と感じるなら仕組み力を鍛えよう
  2. 時間を「量」で捉えよう
  3. すべての仕事はルーチン化できると考えよう
  4. 仕事は締め切りまでの日数できっちり分割しよう
  5. オープンリストを仕事で使わない
  6. プレゼン資料も「ルーチン」で作ろう
  7. アナログ整理もルーチン化しよう
  8. ルーチンのボトルネックをチェックして進化させよう
  9. やらない理由を明確にしよう
  10. やりたい仕事を最優先で繰り返そう

 

多すぎるルーティンはあなたを不幸にする-ルーティンで大切にな る「前提」を知ろう 

ルーティンの目的。それは究極的には「省エネ」だ。

そもそも人生に「やらなければならないこと」なんて本来ない。

僕達は「本当にやりたいこと」を楽しんでやっていれば、 豊かに生きていけるのだ。収入もついてくる。

通勤途中に黄色でカラーバス

カラーバス効果: 自分が意識していることほど、それに関係する情報が自分にやってくる心理学的な効果

 

応用は色に限らないのですが、色が視覚的にもわかりやすいし、これが聴覚になるとカクテルパーティー効果といいますね。

 

ということで、朝の通勤路で「黄色」テーマでカラーバス。

どうしても、黄色となると、信号、標識、レモンとかのイメージに引きずられがちですが。


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裁量労働制について考えた

心身の調子の悪かった頃は、みんなが残業してるのに、自分は残業規制で定時退社で、疎外感というか、参加出来てなさというか、申し訳なさというか、焦りのようなものがあったのだけど…
最近は、何をそんな遅くまでやってるんだか?私に手伝えるなら声を掛けてくれればいいのに、残業すると「やってる感」がでるのかね?と思う。
従業員には「業務に専念する義務」があるという。近頃はパソコンの使われ方を監視して、従業員に効率の良い働き方をサジェストするサービスもあるらしい。私は8時間フル回転する働き方はしてない。生産性の向上というのは8時間でいかに多くの作業をするかという意味ではないと思う。
一日かけていた仕事を半日でこなせば、生産性は2倍であるし、半分の時間で同じ給料が貰えるなら、時給の考え方でも2倍であろう。時給という考え方が嫌いなら、労力を半分にして一日掛けて同じ成果という手もある。別に、サボりや手抜きを推奨しているわけではない。

以前は「あぁ、今日も残業だよぉ」と言う人を見るとイライラしていたものだが、最近は可哀想な人たちだと思う。
最近の私の課題は半日で成果を出したとして、どのみち一日拘束されるのだから、残りで何か仕込めないか?
また、一日は変わらず24時間あるのだから、残りの時間を面白く過ごせないか?
時給と生産性(効率?)は上がったけれど年収が下がってるのが課題だな。

私が勤務時間中にググってネットサーフィンしてたり、YouTube観てたり、SNS覗いてたりしても、「働き方改革」のための自己研鑽なので、お気になさらないで下さい。何か業務上の用件があれば承ります。お気軽にお声がけ下さい。

「残業代至上主義」と決別しなければ働き方改革は前進しない | DOL特別レポート | ダイヤモンド・オンライン
https://t.co/wh6tX3mYIy

春闘だ、ベアだ、言ってないで、基本給を一旦上げたら、ほとんどの人はおとなしくなると思う。
それなしに、成果がないから査定を下げます、と収入が減るから不満な人もいるのじゃないか?
「成長し続けようとする人に報いる賃金報酬制度の見直し」って「老いたり傷ついた人は黙って枯れろ」と言うのかね?
少なくとも、今の私には、裁量労働制は要らなくて(仕事に裁量ないし、成果評価も努力以上に巡り合わせだし)、フレックスタイム制というか、早退自由にしてくれれば、たぶん満足する。当然、午後半休なんてセコいのでなくて、10時に一旦退社して15時にまた来ても可みたいな。
ずいぶん昔に私が裁量労働制だった頃は、高度技能給というより、見なし残業代とか呼んでたような…だからといって、この「裁量労働制」という単語にトラウマもアレルギーはない。字面と違う運用をされるから???となるだけ。ホントに裁量があって高級取りだったらなぁ…だから今はただのフルタイムジョブな人だな。