常識ですか?

常識=健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。

健全=(身体・精神などが)すこやかで異常のないさま。片寄らず堅実なさま。あぶなげなく確かなさま。

普通=いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持ってはいないさま。

知識=ある事柄について、いろいろと知ること。その知りえた内容。

思慮=(注意深く)いろいろと思いめぐらした考え。

分別=世事に関して、常識的な慎重な考慮・判断をすること、またその能力。

分別の説明に常識が出てきてしまって、詰んだ。

つまらぬ。

間に合うこと

「間に合う」と言えば、時間のことと、特に遅刻しないこと、と思う人が多いのではなかろうか?

物事には「間」があり、それに合うか合わないかだとすると、早過ぎるのも良くないかもしれない。

「間」ということなら、時間よりも、物理的空間の方が、直感的に分かりやすいのではないか?長さとか、重さとか、大きさとか。

「帯に短し、襷に長し」

間に合わないものは役に立たない。物を変えるか、魔である用途を変えるか?

「間に合わせる」のか、付け足すのか、削るのか、そんな暇や隙間はあるのか?

何となく、スッキリしないのは、間合いが合ってないのであろう。合わない間合いをモヤモヤ的なもので埋めているのかもしれない。

取り敢えず、間に合っているのかもしれない。とりあえず。

新しい朝が来た

♪希望の朝だ。歓びに胸を開け、青空仰げ♪

青以外の波長の色が大気中で吸収され、残った青が散乱した青だ。

青空が何故に清々しいのかは分からない。まぁ、曇天が重々しいのは雲が落ちてきそうだからかもしれない。なお、雲は落ちてこない。

朝に希望を感じるのは、その日が、まだ始まったばかりで、何かしらの可能性を感じるからかもしれない。

可能性といっても、大事件を望む人は少ないと思う。何気に安定志向の方は多い。それに、思いの外、大振れしない。

何にせよ、希望があることは良いことだ。絶望は死に至る病なのだから。

重力の井戸の底にて

おつかれさまんさたばさ

お約束の挨拶とは言え、未だに、朝一から「おつかれさまです」と言われると、違和感がある。

なかなか、そうそう、疲れるものではない。疲れてる時は、何もしなくても、あらかじめ疲れている。

「おつかれさまです」という言葉には、あまり、労いや癒しの効果はない。

などと言ってたら、ちっとも早くなくても「おはよう」と言うし、話にケリがついてなくても「さようなら」と言う。

「じゃあね」より「またね」と言いたい。

疲れるのは生きてる証拠と嘯いている。

予断を許さない状況

なんて聞くと、なにやら深刻な状況を想像するかもしれないが、ようは予想がつかない状況ということで、必ずしも悪くなるものではないとも考えられる。

熱力学第二法則というか、エントロピー増大の法則によると、まぁ、ほっておけば、無秩序に向かうとも言えるので、秩序を重んじる方には看過しがたい状況かもしれない。

言葉というのは、大概、反対の言葉も用意されていて、臨機応変とか、可及的速やかに対応とかある。

「可及的速やかに」は、つまり、A.S.A.P.="As soon as possible"であるから、私のように捻くれた者は「出来ない時は遅いよ」と言わなくても良いことを言って不評である。

にしても、普段は、「予定通り、予想通り」に物事が進むことを良しというか、当たり前と思ってる人が多いなぁ。

しかし、スポーツ中継などで、終盤、実況や解説の方が、無責任にも言うのだ「分からなくなってきました」

他力本願

普段、人慣れしてないからか、ふとした瞬間に、「何で、人間は、こんなにいるのだ?」と思ってしまうことがある。

 

こんだけ居れば、何とかなるだろう。任せた。と思う。

 

かすかに、こんな私で、お役に立つのでしたら…と低姿勢風な横柄な態度に出る。

 

多分、みんなが居れば、大丈夫だよ。

 

かと言って、いそいそと、この世を去る予定はなく。何となく、さほど長生きは出来ないんだろうな。と思いつつ、居所を探している。

納得

常々、私は、「自分の納得を大事にしている」

何だか分からなくても、「何だか分からないな」と納得出来れば良いのである。

無条件に「そういうもんだよ」「仕方がないよ」と言われると、しばしば、アレルギー的な反応を示す。

まぁ、散々、一人相撲して、「やれやれ、まったく、しょうがないなぁ」で落ち着くこともある。

諦めることは、明らめることだと聞いたことがある。

諦めの早い人は、私より人生経験が豊富なのだろうか?

誰か私に納得がいくように説明してくれ。